2013年4月24日水曜日

中観派の不共の勝法

 dbu ma pa'i thun mong ma yin pa'i khyad cadというは、ツォンカパが帰謬派による龍樹の思想の解釈を、特に優れた教えとして宣揚するときに使う表現である。これは特に初期の『菩提道次第大論』の毘鉢舎那章の前半1/3のところに頻出する。

 内容としては、同じものが縁起すると同時に空でもあり、また空であるからこそ縁起することができる、というものである。この思想自体は、同じ内容を様々な形で言い表されている。『菩提道次第大論』における二諦説も、まさにこの中観派の不共の勝法と同一のものと考えられる。

 その他の初期の中観関係の小論にも同様の主張が見られる。このように初期のツォンカパの中観思想にとって重要な概念なのであるが、おもしろいことに、それ以降の著作においては、言及されなくなる。つまり、『菩提道次第大論』で強調された「中観派の不共の勝法」という概念は、後に放棄されることになる。

 しかし、思想内容が異なっていくわけではない。中観派の不共の勝法として提起された考え方は、後期に至るまでそのまま踏襲される。たとえば、「幻の如き」あり方と表現されるものは、その最たるものである。言説有と勝義無の考え方も同様である。二諦については、微妙に力点が異なっていくが、いくつかの制限をすれば、やはり同じ考え方が踏襲されていると言える。

 ツォンカパの重要な著作は『中論釈・正理大海』以外は大部分ACIPによって入力されているので、このような検索をすることで、術語の傾向の変化が分かるようになる。

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