2013年4月27日土曜日

具格+med paというときのmed paの意味

 よく知られているように、rang bzhin gyis stong paは「自性に関して空である」という意味であり、空であるという述語に対する主語は自性とは別のものである。つまりあるものが自性を欠いている、というのがrang bzhin gyis stong paの構造となる。要するに、stong paという語は、それが欠いているものを具格で表現するという用法である。「関して」という訳語は、具格を直訳しているだけであり、そのあり方に即して言うならば、何らかのものに自性がないという意味になる。

 このようにstong paは存在しないものを表すのに具格を用いる。その同じことがrang bzhin gyis med paとも、rang bzhin med paとも言われる。rang bzhin med paの方は、無自性と直訳できる。どこに自性がないのかは、la donで表される。一方、rang bzhin gyis med paという場合には、自性のないものは主格で表される。gzugs sogs rang bzhin gyis stong paというのと、gzugs sogs rang bzhin gyis med paというのが同じ意味であるとすれば、rang bzhin gyis med paも、「rang bzhinによって存在しない」という意味ではなく(ただし、おそらくrang bzhin gyis grub pa med paと言い換えることはできるであろう。)、「色などには自性がない」という意味であると考えるべきであろう。

 rang bzhin gyis yod paは、rang bzhin gyis grub paと同じ意味であると考えられ、そのgyisは根拠の具格である。またrang bzhin gyis ma grub paは、rang bzhin gyis grub paではない、という意味で、このときもgyisは根拠の具格であると言える。それに対して、rang bzhin gyis yod paの逆の関係にあるrang bzhin gyis med paの具格が、「〜を欠いている」という存在しないものを表す補語を表すと考えるのは、対応がとれないという懸念があるであろう。

 しかし、rang bzhin gyis med paのrang bzhin gyisはmed paの様態を表す限定子であり、どのように存在しないかを示している。どのように存在しないかということは、主語になる色などが存在しないと言われるときの、存在しないあり方に対する限定要素である。もしこれが、rang bzhin gyis yod paと同様の根拠の具格であるとすれば、存在しないことが、その本性的な根拠によって成立することになってしまう。もちろん、これはrang bzhin gyis med paの正しい理解ではない。そのような本性的な無は、むしろ、med pa tsam、すなわち限定されない、全面的な無を指すからである。

 とするならば、やはりrang bzhin gyis yod paのrang bzhin gyisとrang bzhin gyis med paのrang bzhin gyisは別の意味でなければならない。上に比較ししたように、rang bzhin gyis stong paとの類似性を考えるならば、rang bzhin gyis med paのrang bzhin gyisは「自性に関して」であり、med paは「を欠いている」という意味であると考えるのが適当だということになるであろう。

 もう一つの可能性は、rang bzhin gyis [grub pa] med paのgrub paが省略されていると考えること、あるいはgrub paを補って考えることもできる。実際、別にrang bzhin gyis grub pa med pa、あるいはrang gi mtshan nyid kyis grub pa med paという用例は数多く見られる。

 しかし、rang bzhin gyis med paが、もしrang bzhin gyis stong baと同じ意味であると考えられるとするならば、grub paを補うという、語感的にはかなり距離のある操作をする必要なく、そのままの表現で意味をなすことになり、より自然な解釈と言うことができるのではないだろうか。

 『蔵漢大辞典』では、stong baの項にもmed paの項にも関連を見出すことはできないが、stong baの定義に現れるdben paの定義はmed pa'am stong paとあり、dben paとmed paとstong paが同義とされている。このこともmed paをstong baの意味で使い、欠如対象を表すのに具格を用いるという用法の傍証となるのではないだろうか。

2013年4月26日金曜日

菩提道次第大論の自立派と帰謬派の区別の章

 東大のチベット語の講読で、『菩提道次第大論』の自立派と帰謬派の区別を論じる箇所を、割註入りのテキストで読むことにした。今日が初日なので、読み始められるのかどうかは分からない。

 要するにツォンカパの自立論証批判をどう理解するかという問題ではあるが、そのこと自体はそれほど難しいことではない。特に初期のツォンカパの存在論、中観派の不共の勝法の考え方に立てば、自立論証自体が成り立たないことは、演繹できてしまう。特に新たな視点は必要としない。

 そのこと自体が従来の研究で、多少言及されるにせよ、それほど重視はされてこなかったように思われる。それは何よりも「自立論証派」と「帰謬論証派」という名称、およびその分裂の端緒になった議論が、空の論証法の相違にあり、それをツォンカパがどのように解釈しているかに関心が集中しているからに違いない。

 実際、『菩提道次第大論』での議論は、長く錯綜している。ツォンカパ自身の結論ははっきりしているのに、チャンドラキールティの『プラサンナパダー』(それ自体、議論のある難解なテキストである)の解釈も、原意から外れているようで、その強引な解釈を正確に読み取ることは難しい。

 というわけで、非常に丁寧な(時には丁寧すぎる)語釈入りのテキストを読解してみることにした。これは、思想的な研究と言うよりも、古典のテキストの文言の解釈の問題である。

 割注は、
  1. ba so chos kyi rgyal mtshan (1402-1473)
  2. sde drug mkhan chen kha rog ngag dbang rab brtan (17c)
  3. 'jam dbyangs bzhad pa ngag dbang brtson 'grus (1648-1712)
  4. bra sti dge bshes rin chen don grub (17c)
の四つの注釈を合体したものであり、実際にはどこが誰の手になるものかは明確ではない。ジャムヤンシェーパのものについては「ja」と書かれているので分かる。しかし、その他のものについては、実は名前の挙げられた人のものかどうかも定かではないようである。

 文献学的にはより正確に調査する必要はあるのだろうが、ツォンカパのテキストを読むための資料としてならば、個々の著者の貢献がどれであるのかはそれほど重要ではない。時には不要な注や、間違っているのではないかと思われる注記もある。なによりも、注釈者の思想ではなく、ツォンカパのテキストを理解することを主眼とするので、細かいこと、たとえば時には文意が曖昧な場合など、深追いはせずに先に読み進めることとしたい。

 実際、これらの注釈に目を通した後でツォンカパのテキストを直接に読むと、それが非常にすっきりと、そして必要にして十分な情報を与えてくれていることが分かる。それを理解するための準備運動と言ってもいいくらいである。

 まだ初回の部分では本質的な議論には入らない。文章そのものはそれほど難しくないので、一回に2フォーリオか3フォーリオ進みたいものである。

 夏休みには自立論証についてのツォンカパの解釈について論文を書きたいので、それまでには一通り読み終わりたいと思う。

2013年4月24日水曜日

中観派の不共の勝法

 dbu ma pa'i thun mong ma yin pa'i khyad cadというは、ツォンカパが帰謬派による龍樹の思想の解釈を、特に優れた教えとして宣揚するときに使う表現である。これは特に初期の『菩提道次第大論』の毘鉢舎那章の前半1/3のところに頻出する。

 内容としては、同じものが縁起すると同時に空でもあり、また空であるからこそ縁起することができる、というものである。この思想自体は、同じ内容を様々な形で言い表されている。『菩提道次第大論』における二諦説も、まさにこの中観派の不共の勝法と同一のものと考えられる。

 その他の初期の中観関係の小論にも同様の主張が見られる。このように初期のツォンカパの中観思想にとって重要な概念なのであるが、おもしろいことに、それ以降の著作においては、言及されなくなる。つまり、『菩提道次第大論』で強調された「中観派の不共の勝法」という概念は、後に放棄されることになる。

 しかし、思想内容が異なっていくわけではない。中観派の不共の勝法として提起された考え方は、後期に至るまでそのまま踏襲される。たとえば、「幻の如き」あり方と表現されるものは、その最たるものである。言説有と勝義無の考え方も同様である。二諦については、微妙に力点が異なっていくが、いくつかの制限をすれば、やはり同じ考え方が踏襲されていると言える。

 ツォンカパの重要な著作は『中論釈・正理大海』以外は大部分ACIPによって入力されているので、このような検索をすることで、術語の傾向の変化が分かるようになる。

2013年4月22日月曜日

lam rim mchan bzhi sbrags maを読む

 当初の予定は、4月一杯で、中観派の不共の勝法について読み、書くことであったが、とても間に合いそうにない。2ヶ月に伸ばさなければならないか。
 現在は、『ラムリム・チェンモ』の毘鉢舎那章を最初から読み始めた。いろいろな読み方をしている。本文だけのところもあるし、lam rim mchan bzhi sbrags maという割註集成を読んだり、あるいは少なくともその細かなサチェーを読んだりしている。結果も、ラムリムのテキストを作り、そこに割註集成のサチェーを書き込んでたりしていたが、これは時間がかかるので、今は、そのサチェーだけを抜き出したものに、ペチャのページ数を書き込み、ペチャに線を引いていく、というような作業になっている。割註集成のサチェーは見るだけでだいたい内容が分かるものと、少し読まないと分からないものがあり、その場合にはざっと目を通している。
 書く内容に関しては、大まかなアウトラインはできているが、実際に引用する資料はまだ揃えていない。適当なところまで読んだら、検索などをかけながら、あるいは長尾雅人の訳を見ながら、資料として使えそうなところを抜き出し、訳を作り、論文の構成にそって資料を並べ直して、実際の執筆としうことになるだろう。

 結論自体はおおよそ出来上がっているが、細かいところは、実際の資料に即して分析したり、区別したりする必要が出てくるので、やはり書くことだけに1月かかるかもしれない。予定よりは2倍かかるということになってしまう。

 昨日は、割註の176aまで終わった。

2013年4月21日日曜日

日々の記録

 学生に、勉強や研究の日々の記録をとるように指導している。ただ、その日その日にできることをしているだけでは、一定の期間に一定の成果を完成されることは難しいからである。自分が毎日どれだけのことをしているのかを客観的に知ることで、自分がどれほど勉強していないかを見つめることにもなる。何とか、納得のいくことを書けるように頑張るきっかけにもなる。

 また、思いついたことなどを日々書いていけば、論文を書くときの筆慣らしにもなる。

 とこのように指導してはいるが、いざ自分で書くとなると、なかなか大変だ。指導をする手前、自分でも実践してみなければならないと、この従来のブログを利用して毎日の記録を記していくことにした。

 授業がある日はなかなか研究を進めることは難しい。しかし、単純割りで計算するならば、毎日1600字ほどは書かないといけない。もちろん、書くためには調べる必要がある。倉卒な文章にならないように、きちんとドキュメンテーションの裏付けのある記述になるようにするには、単に物理的に1600字を書く以上の時間と労力と注意が必要になる。何も研究を進められない日も多いかも知れないが、やってみて自分ができないことを学生に指導するわけにはいかないので、ひとまず取り組んでみることにする。